今さら人には聞けない賃貸物件の間取りと賃貸物件のタイプについて

 

プライバシーゼロ!風呂なしトイレ共同!昭和の愉快なひとり暮らし。

ひとり暮らしの住まいが「下宿暮らし」と呼ばれていた時代。
日本の高度成長を支えた時代の若者の暮らしを感じ取ってみましょう!
そこには、今の日本社会が忘れてしまったスピリットがあったように思うのです。

全4ページ:賃貸物件の間取りとタイプについて取上げています。

■2Kから2DKそして2LDKへ ファミリータイプは日本の家族の歴史そのもの >>

■現代的な間取りの「○LDK」とは >>

Bシングルタイプの歴史@ バブルの遺産 「1R」 と 二人のための 「1DK」 >>

Cシングルタイプ歴史A 昭和の高度成長期を支えた東京の「下宿」暮らし >>

■ 1970年代のひとり暮らしは文化的で温もりがあった?

高度成長期末期の狂乱繁栄ぎみだったバブル期に1Rが爆発的にヒットしたのは前のページでご説明のとおりです。

では、バブル期より前の、
高度成長時代に向かっていた時代の一人暮らしは?
というと


バブル期前の一人暮らしは、「下宿」暮らしと呼ばれていた、
           風呂ナシ銭湯通いに、トイレは共同トイレ!
                 という長屋タイプでの一人暮らしが一般的でした。


昭和40年代のシングルタイプ 約10u〜の部屋が主流です。

トイレは当たり前のように共同トイレが「標準」だった時代です。
風呂も、もちろんナシですが、ちなみにこの時代は一人暮らしでなくとも家族向けの貸家でも、風呂が無かったりしたのです。

また、大きな持ち家の御主人もたまには銭湯に通うというのが一般的であった時代でもあります。

(※その昔、銭湯は、地域のコミュニティ的な存在であったのです)


銭湯!

そして、その時代の若者は、
長髪にロンドンブーツスタイル全盛の「フォークソング世代」でもあり,
団塊の世代とも呼ばれていた時代でもあります。




その時代を謳ったヒット曲は有名です。
吉田拓郎やかぐや姫の歌の歌詩にもあるように♪「ふたりで行った〜ヨコチョの風呂や〜♪」(神田川)や「襖一枚〜隔てて〜今〜♪」(いもうと)など)都会へやって来ては、皆が共同トイレとや銭湯通いをというスタイルの「下宿」と呼ばれるアパートや長屋に下宿(入居)していたのです。

とにかく、プライバシーゼロ!
ひとり暮らしと言えば、”共同トイレに銭湯通い”が”当たり前”

だった時代です。

それでも「長屋」タイプは、
日本で最初のシングルタイプ賃貸物件!
と言えるのです。


それまでは、地方からの集団就職先の雇い主やご近所が「間貸し」をしていましたが、昭和40年代に入って上京して来る学生が急増した為に必要に迫られて建てられたという成り立ちのものです。

長屋タイプの初期は、大家さんが女将さんとして食事を提供してくれる、寮母さん的なモノから始まってきました。その頃に”店子(タナゴ)”という呼び名ができたのだと思います。

下宿!

下宿タイプでも長屋アパートにしても、この時代の「ひとり暮らし」は、
良い意味で「プライバシーの無い暮らし!」だった。
               それはまさにTVドラマ「俺たちの旅」の世界です。

【TV青春ドラマにもなったプライバシーゼロ!の下宿暮らしとは?】

「長屋」タイプでの暮らしは昭和のTVドラマでも人気となっていました。
一般に昔の若者文化は現在とは全く違い、
「ボロは着てても心は錦」という社会風潮でしたので、涙と笑いのドラマの舞台として胸を張って演じられていたのが懐かしく思います。
TVドラマはいろいろありますが、
中でも「中村正俊主演:俺たちの旅」などは有名です。
この当時の長屋(ドラマでは「たちばな荘」)は現代の木造建物の大壁とは全く構造が違う”真壁”(左官塗り)というチョー薄い壁で隣室と仕切られているので、隣の住人の借金トラブルや身内のケガなどの電話のやりとりなどが、隣室や廊下に丸聞こえだったのです。

そこで、初めは見知らぬ者どおしだった住人どおしが(プライバシーなど一切無い建物の為に)様々な事を助け合ったり、様々な喜びを共有しあったりしているうちに、いつの間にか家族のような間柄になって青春を謳歌するというドラマとなっていました。

【隣室にも中廊下にもまる聞こえだった長屋での生活】



若い方には「メゾン一刻」の世界と言えばお分かりの方も多いと思います。
今のような完全無欠の「おひとり様」暮らしは実現出来なかったのです。

【時代背景:1970年〜1980年頃】
1970年の大阪万博の大成功後、高度成長を背景に
地方から若者が大量に上京して大学に入学、その後、人手が必要な都会で就職というパターンも一般化しつつあり1960年代から1970年代の初期からは「下宿」と呼ばれるひとり暮らしが急増しました。

この頃から、フツーの中小企業が人口増(消費者増)と人手増(生産力増)
という,現在と全く逆の経済環境に恵まれていたお陰で、この大きな波に乗って会社はより大きな会社へと発展し、個人はどんどん豊かな生活ににと突き進んでいった時代でありました。




その時代は上京し大学入試に落ちた浪人生が、当然のように東京に下宿を借りて予備校生生活をしていたような時代です。
当時は入試の倍率も、もの凄かった時代ですから、東京国立大などは何年も浪人している人がいました。


【今も残る昭和の下宿】
共同玄関を入り、中廊下から自室に入る長屋アパートは、今でも都心には沢山あります。
そしてもちろん、現役の賃貸物件として稼働しているものがほとんどです。
その多くが下宿タイプでは無く、お隣にご高齢の大家さんがお住まいというパターンのアパートになりますが、
東京都心にはまだ銭湯が多く残っているので港区や渋谷区などの好立地でもとても安い家賃なので、意外なほど人気もあります。
【NHK朝連ドラ ”てっぱん” も良かった】
最近、食事まかない付き下宿を舞台にしたNHK連ドラ「てっぱん」(平成22年4月〜23年3月放送)も個人としてはとても毎日楽しく見ていました。
てっぱん

こんなに風情のあるコートハウス風の建物を下宿にしているのは、ドラマならではだと思いますが、舞台である「田中荘」も賄い付の現代に残る下宿宿(げしゅくやど)として描かれていて、住人達皆で朝食を取るなんて素晴らしいと思いました。
今のように地方から単身出て来ても友人も無く、人と接することなくキッチリとプライバシーだけが確保されている部屋とは全く逆の暮らしの良さを最認識させられる思いです。



会社案内  PRIVACY POLICY
Copyright © 2000-2011 Rental Promotion. All rights reserved.